寝台列車は6人部屋(3段ベッド×2列)におばさんと2人だったので広々使えて快適、11時間の移動中ほとんど寝ていた。
朝7時頃にクラコフに着き、宿に荷物を置いてアウシュビッツへ。
再び電車に揺られる、アウシュビッツに強制収容所がつくられた理由のひとつに鉄道網が発達していた事が挙げられる。同じ景色を見ながら運ばれて行ったのかと思うと不思議な気持ち。
アウシュビッツ強制収容所、第二次大戦中に最初はポーランド人の政治犯を収容する目的で建設される。次第にヨーロッパ全土のユダヤ人、ジプシー、ソ連軍捕虜らが収容されるようになり、150万人もの命が奪われた。
オシフィエンチムのアウシュビッツ1号の入口には「働けば自由になる」とプレートが掲げられている、が一度この門をくぐった人々は二度と帰る事は無かった。
東ヨーロッパへ移住させられると思って送られてきた人々はここへ監禁され、劣悪な環境下で重労働を強いられ、ある者は医学実験の被験者に使われ、あるいは直接殺された。
そもそも収容所に到着した段階で労働力になりそうも無い人々は直接ガス室に送られた、その数は元所長の証言によると75%にも及ぶと言う。記録さえ残されないまま殺された人も膨大な数に上る。
到着した人々は髪を切られ、持ち物を取り上げられた。
そのうちの本の一部が展示されている。言葉を越えてこの場所で行なわれたことの恐ろしさが伝わってくる。
3km程離れたブジェジンカにつくられたアウシュビッツ2号。175ヘクタールもの敷地に300棟以上のバラックが建てられ、鉄道の引き込み線も敷かれた。
引き込み線の奥に建っていた焼却炉とガス室は終戦間際に証拠隠滅のため爆破されたが、今もその痕跡を留めている。
木造で造られたバラックの多くは焼かれたか爆破され、れんが造りの煙突だけが残っている。わずか70年程前に自分が今建っている場所でそんなにも恐ろしいことが行なわれていた事が信じられない。と共に当時職務に着いていたドイツ軍の人々も1日の仕事が終われば妻子の待つ家に帰り普通の生活を送っていたという話を聞き、まともな人間が信じる正義のために残虐な行為に手を染めることが出来てしまう、その事も信じられない。
クラコフに戻り歩き彷徨う。
ケバブ屋が多いしそもそも物価が安い、レストランでビールを飲んでも200円しない。
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